夜空はいつでも最高密度の青色だ

なんだろう、この感覚。

決して難しい言葉が並べられているわけではないし、遠回しなイメージが重ねられているわけでもない。

すごく、わかりやすいのに、わかったような、わかってないような、気がする。

自分が今まで思ってはいたけれど言葉にできなかったことの一つ一つが、こんなに簡単な語彙で表されてしまうことへの衝撃と、自分への落胆と、それから安堵感。

これ、口に出してよかったんだ、私だけじゃないんだ、って、ほっとした。

 

人間の、醜い部分も嫌な感情も、全部かわいいと包み込むこの姿勢を、「愛」以外の言葉で表せるようになりたい。

批判するんじゃなくて、寛大さを見せ付けるんでもない。

言葉を武器にするってよく言うけど、タヒさんの言葉はもっとしなやかで、強い。

強いけど、ふわふわしていて、掴んだ後にも変わってしまう。それはきっと私が変わるからだろうなって思います、月を見ながら。

君の名は。に共感できる青春を送りたかった

新海誠監督最新作『君の名は。』をやっと観てきました。

累計動員数481万人、興収は62億円を突破した今作、正直に言って良かったです。観て良かった。

 

笑えて、泣けて、ちゃんとハッピーエンドで。

昔から見てきたような、悪く言えばありがちな、よく言えば普遍的な、ストーリー展開に、こんなにも引き込まれる人が多いのはやはり、作り手の技量あってこそのものでしょう。(心の声:何を偉そうに😠)

 

さて、この作品はカップル(いわゆるリア充)が多く観に行っていることでも話題ですよね。

確かに、あらゆる困難を乗り越える三葉ちゃんと瀧君の姿は見ていて気持ちが良かった!!二人で観れば盛り上がるだろうし、感想も言いやすい!!何より無難!!!

 

だけど!!!!!!!そんな青春を送ってきた人ばかりじゃないと思うんですよ。。。

女子校だから、部活で忙しいから、勉強の方が大事・・・・

いろいろ自分に言い訳しながら、それこそ瀧くんみたいに一心に自分を見てくれる人いないのかなって、いつか現れないかなって、思っても思ってもそんな人は現れなくて、自分でも「好き」が何かわからなくて、このままでいいのかなって不安になる夜、ありませんか。。。私はありますよ。。。昼でもなりますよ。。。

 

で、そんな私からすると『君の名は。』はあまりに美しすぎるんですよ。これは今作に限らず、青春ラブストーリーを謳うどの作品にも(漫画にも、小説にも)当てはまるんですが、本当に現実感がない。感情移入した自分が痛々しいのが想像できて、一歩引いた目で見てしまうんですね。

 

処方箋はきっと経験値でしょう。今から青春やり直したいです笑

 

 

 

 

 

 

優秀なる羊たち 米国エリート教育の失敗に学ぶ

この本の著者、ウィリアム・デレズウィッツはコロンビア大学を卒業し、イェール大学の教授も務めた人物です。

アメリカのエリート中のエリートである彼が、20歳の頃の彼自身に向けて、当時知りたかったこと(例えば、「大学へ行く意味は何か」とか)を書いたのがこの本です。

かといって、日本の私たちに関係がないわけではありません。日本の教育システムはアメリカの二番煎じをしているといっても過言ではなく、近年、人物重視の入試が増えているようにその傾向はますます強くなる一方です。

ところで、アメリカで人物重視の入試が取り入れられた理由を知っていますか。名目上は多様性を生み出すことですが、実際には、ペーパーテストのみではユダヤ系の入学者が多くを占めていることに対する措置だったようです。完全に差別ですね。

米国のエリートたちは敷かれたレールに沿って学業を収め、システムの中で動くことには長けているが、疑問を持ったり変革を起こしたりすることはできない、と評されています。これは、日本においても同じではないでしょうか。

豊かな家に生まれ、努力で学歴を勝ち取ったかのように感じているエリートと、貧しい家に生まれ、機会を十分に与えられなかった人々。この両者の隔絶は日本でも確かに見られるものです。

著者はこのようなシステムを変えること(スポーツ組及びレガシー組の廃止、階級に基づくアファーマティブアクション)を訴えています。

また、大学の選び方や目紛しく変化する世界において人文科学を学ぶことの重要性についても触れています。

エリート意識のある人には勿論、ない人にも、大学を選ぼうとしている高校生にも、ぜひ読んでほしい一冊です。

シリア・モナムール

『シリア・モナムール』を観ました。

前半はyoutubeから抜粋された動画で構成され、後半はシラヴと名乗る女性と難民としてパリに移住している監督との対話形式で成る映画です。

 

まずは前半について。

この映画が評される時、必ずと言って良いほどyoutubeの存在が示唆されます。しかし、この映画が単なるyoutube動画の寄せ集めではないことは、観た人なら誰でも理解できるところと思います。では、この前半の意義は何か。それは、私たちと現場は実は容易に通じていることを知らせることではないでしょうか。そして、文脈がないだけで、私たちは関心を失ってしまうものだという現実を突きつけているように思います。動画サイトで一度検索すれば得られたはずの情報を無関心の下、流してしまっているのが今の私たちです。

 

次に、後半について。

祖国シリアを離れたことを罪に感じている監督と、シリアにとどまり未来を作る子供達の教育を行っているシラヴ。シラヴは監督にとっての希望であり救いであり、さらに、父を亡くした子、オマールの無邪気さは監督の絶望と対極の存在として描かれています。

 

様々なテクストを下敷きとして作成された今作。決して、全てがノンフィクションだと言い切ることはできないでしょう。しかし、映像はシリアで実際に起こっていることを証明するには十分です。つまり、前半部に関しては私たちはただ受け入れることしかできません。一方、後半部の受け取り方は人によって様々だと思います。たとえ編集の結果であったとしても、シリアの外を代表する監督のシリアへの関与の仕方は、我々に何らかの示唆を与えることとなるでしょう。

 

日本ではすっかり報道が減ってしまったシリアに言及した今作。私たちは、見えない世界(見ようとしない世界)の悲劇を無視していることを思い出させてくれました。