シリア・モナムール

『シリア・モナムール』を観ました。

前半はyoutubeから抜粋された動画で構成され、後半はシラヴと名乗る女性と難民としてパリに移住している監督との対話形式で成る映画です。

 

まずは前半について。

この映画が評される時、必ずと言って良いほどyoutubeの存在が示唆されます。しかし、この映画が単なるyoutube動画の寄せ集めではないことは、観た人なら誰でも理解できるところと思います。では、この前半の意義は何か。それは、私たちと現場は実は容易に通じていることを知らせることではないでしょうか。そして、文脈がないだけで、私たちは関心を失ってしまうものだという現実を突きつけているように思います。動画サイトで一度検索すれば得られたはずの情報を無関心の下、流してしまっているのが今の私たちです。

 

次に、後半について。

祖国シリアを離れたことを罪に感じている監督と、シリアにとどまり未来を作る子供達の教育を行っているシラヴ。シラヴは監督にとっての希望であり救いであり、さらに、父を亡くした子、オマールの無邪気さは監督の絶望と対極の存在として描かれています。

 

様々なテクストを下敷きとして作成された今作。決して、全てがノンフィクションだと言い切ることはできないでしょう。しかし、映像はシリアで実際に起こっていることを証明するには十分です。つまり、前半部に関しては私たちはただ受け入れることしかできません。一方、後半部の受け取り方は人によって様々だと思います。たとえ編集の結果であったとしても、シリアの外を代表する監督のシリアへの関与の仕方は、我々に何らかの示唆を与えることとなるでしょう。

 

日本ではすっかり報道が減ってしまったシリアに言及した今作。私たちは、見えない世界(見ようとしない世界)の悲劇を無視していることを思い出させてくれました。